2020年03月27日
  東北大学コラム

「生物多様性と感染症」

生物多様性と感染症

 

2019年11月のこと、絶滅が危惧される希少哺乳類の一種、マレーセンザンコウの保全に関する論文が、中国の研究者により発表された。センザンコウの病因となるウイルスを特定し、その多様性の実態を解明した、とする論文だった。野外で病死する個体の多さが、センザンコウの保全上の大きな問題になっており、その謎を解くことを目的とした研究だった。一般市民と何かの接点を持つとは思えぬこのマイナーな研究が、その数か月後、思いもよらぬ注目を集めることになる。

 

「生物多様性と進化についてです」―私の研究テーマは何かと聞かれてこう答えると、次の質問はたいてい、「それは何の役に立ちますか?」である。

 

生物多様性とは遺伝子、種、生態系、それぞれの豊かさのことである。例えば種のレベルなら、様々な種類の生物が生息していることである。生態学者は、生物多様性は環境を安定に保ち、病害虫の増加を抑え、薬、食料資源の供給源になる等、多彩な恩恵(生態系サービス)を与えてくれる、と考えている。だが、実のところ生物多様性にいったいどんな機能があるのか、まだよく分かっていない。

 

そもそも生物多様性が私たちに与えるのは恩恵だけではない。私たちを脅かす恐ろしい脅威もある。薬と毒は表裏一体である。私たちはまず、その真の姿を知らねばならない。どんな生物が―例えば鳥類などの脊椎動物、昆虫などの無脊椎動物、植物、菌類、バクテリアなどが―どんな生き方をし、他のどんな生物とどんな関係(捕食-被食、競争、共生や寄生など)を結んでいるのか、またどうすればこうした生物種の多様性を維持できるか知らねばならない。こうした基礎研究によって得られた研究成果は、生態系の真実を理解するのに役立つ。だがそれが人間社会のどんな問題の解決に直接役立つのかは、すぐにはわからない。もしかしたら何の役にも立たないかもしれない。しかし、一方でそうした研究が無ければ、またそうした研究の成果に目を向けなければ、私たちは思いがけぬ大きな利益や脅威を、見落とすことになる。

 

 

さて上記の論文でセンザンコウから検出されたウイルスのうち主要なものは2つ。一つはセンダイウイルス―1953年、東北大学医学部・石田名香雄博士が発見し、仙台にちなんで命名されたグループだ。そしてもう一つがコロナウイルスであった。それはコウモリからヒトに感染し、2003年に重症急性呼吸器症候群(SARS)の流行を引き起こしたSARS-CoVと同種で型が異なるコロナウイルスを高頻度で含んでいた。論文はその末尾に研究の主旨や目的とは異なるこんな一文を付け加えていた。“センザンコウはヒトに感染するSARSコロナウイルスの、別の宿主となりうるかもしれない”。

https://www.mdpi.com/1999-4915/11/11/979/htm

 

このさりげない警告が大きな意味を持つことを示す複数の研究成果が、2020年2月以降相次いで発表された。今の私たちの生活を脅かしている新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)は、中国に食用や薬用に密輸されていたセンザンコウに由来するのではないかという説が浮上したのである(例えばAndersen et al 2020, Nature Medicine)。まだその由来が解明されているわけではなく、今のところコウモリ由来説のほうが有力だが、こうした多様な野生動物が保有する病原体についての情報は、このウイルスの感染ルートを解明するうえで重要な鍵となっている。

 

基礎研究の成果が何に役立つかは、後になって初めて分かる。それが役に立つかどうかに関わりなく、平時にどれだけ多くの知識と情報を得ていたかが、緊急時の問題を解決するうえで重要になるのである。ちなみにこの動物-ヒト間や、ヒト-ヒト間の感染経路の推定に使われる手法―遺伝子の塩基配列に基づく系統推定は、生物多様性の歴史を理解するために発展した進化理論の粋を集めたものであることを、最後に付け加えておこう。

 

【プロフィール】

千葉 聡(ちば さとし)

東北大学東北アジア研究センター教授

野生生物の多様性がどのように進化してきたか、また希少な野生生物をどうすれば適切に保全できるか研究しています。生物多様性の研究は、環境保全の面ばかりが注目されがちですが、疫学や病害虫防除の面からも重要だということを感じて頂ければと思います。

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