2018年03月20日
  東北大学コラム

日記からみた江戸時代 第2回 江戸時代のお正月

東北大学東北アジア研究センター上廣歴史資料学研究部門 准教授    荒武賢一朗

 

第2回 江戸時代のお正月

 

このコラムでは江戸時代の人々が書いた日記をもとに、いろいろな出来事や当時の人々が思っていたこと、感じたことなどを紹介したいと思います。

 

今回のテーマは、「お正月」です。みなさんの正月休みは、お仕事によってさまざまだと思いますが、よく言われるのは「正月三が日」で、1月1日から3日までは休日という方も多いでしょう。現代の「年始め」と、江戸時代は一緒なのか、あるいは違いがあるのか、といったことを含め、当時の様子をみていきましょう。

 

「正月」という言葉はいつから始まったのか、という話は諸説あるようですが、江戸時代にはすでに「正月三が日」や、1月1日から7日を「松の内(松七日)」と呼んで、おおよそ1週間ぐらいがお正月だというイメージが定着していました。それでは、当時の人々はどのように過ごしていたのでしょうか。たとえば、おせち料理を食べていたのか、子どもたちはお年玉をもらっていたのか、「寝正月」を満喫する人は多かったのか…。

 

江戸時代に活躍した作家で曲亭馬琴(きょくてい・ばきん、1767年生~1848年没)という人物がいます。馬琴は、もともと下級武士の家に生まれながらも、のちに作家となって代表作『南総里見八犬伝』など多くのベストセラーをのこしています。たくさんの本を書いたことはよく知られていますが、同時に彼は日常生活のあれこれを書いたことでも有名です。まさに「筆まめな人」といえます。

 

馬琴日記で天保4年(1833)の正月をめくってみると、最初に「家内安全、新年祝義吉例の如し」と書いてあります。つまり、家族全員がすこやかで、いつも通り正月の祝い事をおこなったようです。元日の朝には雑煮・餅を、昼ごはんはおせち料理を食べた、と記します。

 

現代の私たちもお雑煮やお餅は、「正月ならでは」と感じますが、おせちは「一汁三菜、平(ひら)・膾(なます)・焼肴(やきざかな)」でした。汁物のほか、平は煮物、膾は酢の物(レンコン、または大根や人参をせんぎりにしたものなどを使う)、そして焼き魚だったようです。人気の売れっ子作家が年始めに食すにしては質素なメニューかな、と思いますが、一汁一菜が当たり前だったことを考えると、2つもおかずが増えて豪華になっているといえるでしょう。

 

大人ならば、ごちそうにはお酒がつきものですが、ここは正月ですから昼ごはんのときに「屠蘇酒」が出て家族みんなでお祝いし、夕方には「福茶」をいただいたようです。福茶とは新年に黒豆や昆布、梅干しなどにお茶を注いで飲むものですが、これも恒例行事だったと思われます。

 

馬琴の正月は、お雑煮やおせちを食べて終わり、というわけではありません。1月2日には体調を崩していたにもかかわらず、自身の作品にも影響を与えた『本朝水滸伝(ほんちょうすいこでん)』という本を読むなど、いわば「仕事」をしているのです。

 

また、年末のお金の勘定を自らおこない、新しい帳簿にその金額をメモにして貼り付けています。この作業はかなり時間がかかったらしく、1月3日には朝から晩までこの計算をやっていたが終わらず、翌4日の夜にようやく完了したようです。この計算は、家計簿のようなものだったらしく、前年の収支は「金2両3歩あまり(金1両=40万円と考えた場合、現在の100万円ほどになります)」とあります。これが多いのか、少ないのかを馬琴が語っていないのは残念ですが、60歳を過ぎた息子も孫もいるおじいさんがこまめに家計簿をつけていた、ということは注目できます。

 

武士や商人、農民たちの日記も正月のお雑煮やお屠蘇などは、だいたい馬琴と共通しています。実際にどれだけもらっていたのか、ぜひ知りたいところですが、お年玉についてもよく出てきます。当時はお金だけでなく、扇子などをプレゼントすることもあったようですが、江戸時代にも子どもたちが待ちわびていたことでしょう。

 

仕事始めはいつからだったのか。これも興味深いです。武士の日記をみていると、1月8日から通常業務をしているので「松の内」には本格的な出勤はありませんが、殿様や上司のところに年始のあいさつへ行くなど、仕事に近いことは元日からやっています。また、商人たちもさまざまですが、元日はゆっくりと過ごし、翌日から仕事をしていた場合もみられました。家でゴロゴロしていました、という日記が発見できずじまいですが、おそらく寝正月を好む人は、筆を持ってせっせと文章を書かないでしょう。

 

次回は、曲亭馬琴の生活についてもう少し調べてみたいと思います。江戸の町で暮らしぶりはどのようなものだったのか、筆まめな作家からいろいろと教えてもらいましょう。

 

プロフィール

荒武 賢一朗(あらたけ けんいちろう)

東北大学東北アジア研究センター上廣歴史資料学研究部門 准教授

日本近世史・経済史専攻。江戸時代の経済や社会を古文書から分析する。地域で大切に守られてきた歴史資料を保全し、未来への継承を目指している。

※所属等は取材当時のものです。

関連記事

新着記事