2018年09月28日
  コラム

日記からみた江戸時代 第6回 庶民たちの生活

東北大学東北アジア研究センター上廣歴史資料学研究部門 准教授    荒武賢一朗

 

第6回 庶民たちの生活

 

今回は庶民が書きのこした記録をもとに、江戸時代の暮らしぶりを紹介してみようと思います。そもそも江戸時代にはどれぐらいの人々が文字を書き、読んでいたのかというイメージをつくっておくべきですね。いわゆる「読み書き」ができる人たちの割合ですが、江戸時代の識字率は全体の70%、あるいは90%以上ともいわれます。

 

しかし、年齢層など統計の方法などによりますので正確な数字はなかなかわかりません。ここでは少なくとも7割ぐらいの大人が文書を扱うことができたと想定しましょう。その根拠となるのは、当時の町や村で庶民たちの筆によって多くの文書がつくられていたこと、さらにそれらは地域の古文書として現代まで保存されています。

 

私はさきほどから「庶民」という言葉を使っています。かつて江戸時代の身分制度を「士農工商」という言葉で説明していました。これは、士(武士)・農(農民)・工(職人)・商(商人)が社会のおもな構成員であり、その身分には厳しい差別や格式の違いが存在したとされました。

 

現在は研究が進み、士農工商とはあくまで理念であって、実態とはずいぶん異なっていたという評価に落ち着いています。それを受けてここでは、武士以外の人々を庶民としてまとめて扱います。

 

いまから300年ほど前(江戸時代中期)、日本の人口はおよそ3000万人だったといわれています。そのうち武士の人口は10%で、わずかなサムライたちが圧倒的多数の民衆を支配していたことになります。武士と庶民に分けることはできますが、これはあくまで「登録」の問題でもあります。

 

伊達政宗を初代とする仙台藩は、現在の宮城県および岩手県南部を中心に領地を持っていました。江戸時代は270年ほど続きますし、人口調査の方法にもいろいろありますのでややおおざっぱな感じですが、仙台藩の庶民人口は40万人から55万人とされています。

 

それに対して武士人口は13万人から18万人余りで、領内の4人に1人は武士であるという計算になります。全国平均からするとずいぶん高い比率(武士=20~26%)ですが、仙台藩の下級武士には「半農半武(はんのうはんぶ、農業と武士の仕事を半分ずつおこなう)」という人たちもいますし、庶民のなかでも漁業と農業、あるいは農業と商業、といった兼業をする場合も多いのです。つまり、Aさんは農民、Bさんは漁師、Cさんは武士、という専業によるはっきりした区別ができないわけです。

 

仙台市の歴史がわかりやすくまとめられている『仙台市史』には、江戸時代の武士や庶民について多くの事例が紹介されています。そのなかで注目できるのは、宮城郡上愛子村(かみあやしむら、現在:仙台市青葉区)にいた長吉(ちょうきち)という男性の記録「働き方留覚帳(はたらきかたとめおぼえちょう)」です(『仙台市史』資料編4・通史編5に詳しい説明があります)。

 

長吉は、この村に屋敷をかまえている仙台藩士・森田氏の家来です。主人である森田氏はもちろん武士ですが、長吉は武家で働く奉公人で、身分としては百姓だと思われます。

 

長吉は、嘉永6年(1853)から安政元年(1854)にかけて、日記形式で1日ごとにおこなった仕事を「働き方留覚帳」に書いています。正月は元日が休日になっていましたが、2日からは仕事が始まり、この月の前半は「団子木(だんごぎ)切り」と「団子木売り」に多くの時間を使っていました。

 

団子木は正月の伝統行事のひとつで、木の枝にだんごや飾り物を付けた縁起物として有名です。長吉は季節労働としてこの木の枝を切り、そして売りに出かけたのだろうと考えられます。

 

春になると、田畑における仕事が増えてきます。長吉は、安五郎という人物から依頼を受けて田植え、田んぼの草取り、大根を植えた畑の肥料をまく作業などをおこなっています。また夏場から秋にかけては稲刈りや大豆の収穫にも参加しています。稲刈りが始まるころの八月には栗拾いへ毎日出掛け、仙台の町々へ売りに行くことも日課になっていました。

 

このように長吉という武家奉公人の日記から、当時の様子を再現してみると、農業やそれにかかわる季節限定の商売が大きな割合を占めていて、主人である森田氏との関係を示す仕事はほとんど出てきません。

 

役所や村などの公的な文書では、本職は何かと尋ねられたら「武家で仕事をする奉公人です」となるのでしょうが、日記からみた長吉の実像は「副業が本業になっている百姓(庶民)」といえます。

 

私たちが生活をする現代社会でも、1人の人物が複数の仕事を掛け持ちすることはありますし、過去に比べて減っているかもしれませんが季節にあわせた生業(なりわい)はあり得る話です。江戸時代を考えるとき、この「やわらかい社会」の見方を頭に入れておくと良いかもしれません。

 

 

プロフィール

荒武 賢一朗(あらたけ けんいちろう)

東北大学東北アジア研究センター上廣歴史資料学研究部門 准教授

日本近世史・経済史専攻。江戸時代の経済や社会を古文書から分析する。地域で大切に守られてきた歴史資料を保全し、未来への継承を目指している。

 

※所属等は取材当時のものです。

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