2019年01月28日
  コラム

「日記からみた江戸時代 」第7回 日記を付ける殿様

東北大学東北アジア研究センター上廣歴史資料学研究部門 准教授    荒武賢一朗

 

第7回 日記を付ける殿様

 

江戸時代の人々は「読み・書き・そろばん」を学び、仕事や生活のなかで活用していました。これは支配者である武士たちだけではなく、庶民たちにも共通しています。とくに、文書のやりとりはさまざまな場面でおこなわれていましたから、社会のなかで重視されたといえるでしょう。

 

それでは、当時の日本列島を支配していた政治家たちは文章をたくさん書いていたのでしょうか。そして、本コラムのテーマである日記をつけていたのか。そのあたりを中心に紹介していきたいと思います。

 

江戸幕府の将軍や、各藩の殿様(藩主)が文書を発信する機会はたくさんありました。それは政治のリーダーとして、法律や政策を庶民たちに伝えなければいけなかったからです。しかし、このような公文書を殿様自身が書いている場合はほとんどなく、現在のように演説という形で民衆に直接語りかけることもありません。だいたいは将軍や藩主の指示を受けた幕府・藩の役人が広く周知するよう文書を作成しました。

 

ただし、私的な文書には人物によって個性があるようです。時代を問わず、手紙を書くのが好きな人、日記を付けるのが得意な人など、殿様たちにもこれらの特徴がみえてきます。

「独眼竜政宗」として有名な初代仙台藩主の伊達政宗は、たくさん手紙を書いたことがよく知られています。それは豊臣秀吉など政治家同士のやりとりから、家族・親族・家来たちに送った私信など、あらゆる種類の書状が含まれています(佐藤憲一『伊達政宗の手紙』洋泉社MC新書、2010年)。要するに、政宗は「筆まめな人物」だったわけですが、日常の記録を書きとめることに力を入れる殿様たちもいました。

 

備前国岡山藩主であった池田光政(1609年生~1682年没)は、「名君」と呼ばれる江戸時代前期の殿様でした。なぜ、光政が「良い殿様」として評価されたのかといえば、領民に対してとても敬意をはらい、「百姓第一の政治」を主導したからです。いまの言葉ならば「国民目線の政治」となるでしょうか。彼が岡山藩の基礎をつくる作業でおこなった特徴は、学校政策にあらわれます。

 

武士の子どもたちが学ぶ「岡山学校」を創立し、その後には「閑谷学校(しずたにがっこう)」という庶民のための学び舎を設けました。いずれも全国で初めて試みであり、殿様が先頭に立って子どもたちの教育や学習環境の充実を目指していたことがわかります。このような社会の基盤作りとともに、たびたび発生する不作や飢饉で困る民衆に税金の免除や救済事業を提供し、領民の生活維持に努めたことで知られます。

 

池田光政の政策や考え方は著作にしてあるもの、そして日記に書かれている文面から読むことができます。現在、「池田光政日記」として伝来するのは江戸時代前期の約20年間にわたるものです(『池田光政日記』国書刊行会、1983年)。さきほど述べたように、領民を大切にすべきという家臣たちへの命令や、毎年正月に自身から出される決意表明など、社会に寄り添う殿様の印象が強く日記にも反映されています。大災害があった直後の正月元日には早朝から700人以上の家来を集め、藩全体で取り組むべき課題や、役人として持つべき心得を伝えています。

 

1657年(明暦3)1月18日から20日にかけて、江戸で「明暦の大火」が発生します。この火事で江戸城の中心的建物だった天守が焼けてしまい、大名屋敷や市街地の多くが失われました。犠牲となった死者は数万人ともいわれます。当時、光政は地元である岡山におり、18日は大勢の家来たちを連れて半田山(現岡山市北区)で鹿狩りを楽しんでいました。

 

このとき光政一行はわずか1日で鹿18頭、うさぎ17羽、オオカミ3匹などを捕獲したようです。それから数日後に飛脚が知らせた江戸の大火について、すぐに家老を江戸に派遣するなど迅速な対応をおこないました。また、中村四郎左衛門という老臣を呼び、江戸の復興に尽力するよう指示を出しています。中村は若い頃から有能な人物で、光政が述べる「ただ事ではない」江戸の立て直しにその力を発揮したと思われます。

 

参勤交代によって大名は江戸と地元で交互に生活をするため、記事の内容はその時々で違ってくる場合があります。ただし、光政の日記からは常々「領内の平和と安定」や「百姓のためにおこなう政治」という目標が書かれ、災害や政治事件への対処にも素早く動いていた様子がみえてきます。

 

光政は、庶民に対して「質素倹約」をするように命じていますが、それは社会の変化に対応できる人材作りを考えていたと思われます。江戸時代の殿様が何をしていたのかは不明なところも多いのですが、すべての人々がより良い生活ができることを目指したのは彼の揺るぎない考え方からきています。

 

【プロフィール】

荒武 賢一朗(あらたけ けんいちろう)

東北大学東北アジア研究センター上廣歴史資料学研究部門 准教授

日本近世史・経済史専攻。江戸時代の経済や社会を古文書から分析する。地域で大切に守られてきた歴史資料を保全し、未来への継承を目指している。

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