2020年02月25日
  東北大学コラム

「魚と人、思いあれこれ」

 

1.サカナを食べるとサカナが無くなる

 

宮城県は水産業の盛んな土地ですが、2019年にはアユやサンマ、サケなどの漁獲量減が報じられており、原因や対策について続報が気になるところです。中国の古典をひもとくと、『春秋』という書物に、「観魚」と言って領主が漁民たちの漁を見物していたことが記され、『孟子』や『荀子(じゅんし)』には、目の細かい網で魚を捕らない、魚類の繁殖期には漁を禁ずるといった政策が提言されています。これは春秋戦国時代(紀元前8~紀元前3世紀)の状況ですが、各種の道具を使った大がかりな漁が行われるとともに、持続的な資源利用が課題となってもいたことがわかります。

 

養殖はどうでしょうか。零細な記録は割愛することにして、まとまった資料としては6世紀の農業技術書『斉民要術(せいみんようじゅつ)』に「養魚」の項目があり、養殖池のしつらえや、最初に投入する魚あるいは魚卵の入手方法などが指南されています。

図1.『春秋穀梁伝』林恕(鵞峰)訓点、東北大学附属図書館狩野文庫蔵

 

2.名もない虫を踏みつけられない

この『斉民要術』が編(あ)まれた中国の南北朝時代は、インドから伝えられた仏教が中国に深く根を下ろし始めた時代でもありました。仏教には「放生(ほうじょう)」と言って、食用として売られる動物を買い取って逃がす実践があります。「放生」という言葉は中国の古典『列子』の語を借りたもの、『列子』では何やら日本の落語めいた皮肉も含むのですが、今は触れないことにします。とにかく、中国や日本の仏教徒は放生にいそしんだのです。

 

『続高僧伝』という書物には6~7世紀の中国で活躍した僧侶の伝記が集められていますが、そこに見える僧旻(そうみん)という僧は、集まったお布施をしばしば放生に費やしていました。なぜ同じお金で大きな法要を営まないのかと問われた彼は、理由の一つに法要をすれば煮炊きのためにたくさんの虫を殺してしまうことを挙げています。法要では説法や祈祷(きとう)が行われるほか、参加者に食事が振る舞われたのでしょう。穀物や野菜にはもちろん、かまどにも井戸にも虫や小動物が住んでいます。大きな行事の調理場では、点検がゆきとどかず犠牲が多くなってしまうということでしょう。

 

3.誰のために池をつくるのか

 

放生の儀式では、魚介類は放生池(ほうじょうち)という池をつくってそこに放します。仏教徒にとって、池は魚を増やして食べるためではなく、救うために掘られなければならないのです。

 

先に触れた『続高僧伝』に、僧崖(そうがい)という人の伝記が収められています。彼が生まれたのは今で言えば四川省の山あい、ジョウ(けものへんに襄)という少数民族の集落で、言葉も漢民族とはちがっていたようです。村では漁労が営まれていましたが、僧崖は殺生を肯(がえ)んぜず自分の漁具を焼いてしまいます。ある日、村人たちが魚の養殖池を作っていると、尾を上げれば雲を突くほどの巨大な蛇が現れて水の中に入ってゆきました。驚く人々に僧崖は池の造成を取りやめるよう諭(さと)し、彼らがなおもしぶっていると、池の堤防がひとりでに壊れてしまった、と『続高僧伝』は記します。

 

やがて僧崖は故郷を離れ出家しますが、彼は出家前から、この憎むべき肉体をいつか焼いてしまおうと口にしていました。果たして老年に達した彼はまず自分の手の指を燃やし、最後には積み上げた薪(たきぎ)の上で全身を焼いてしまいます。「遺身」や「捨身」などと呼ばれる行です。なぜそうなるのか説明することは控えますが、僧崖にあっては、自分の肉体への厭悪(えんお)はつねに他者への慈愛をともなうものでした。彼は自分の手を燃やしながら肉食の禁止を人々に説き、またある破戒僧は僧崖の最後の捨身を見て酒肉を断ったと伝えられます。

図2. 名取新宮寺一切経本『続高僧伝』僧崖伝

 

4.話せばわからないから同じ生き物であることに気づく

 

僧崖の焼身には後日談があります。ある日、彼の甥(おい)の前に死んだはずの僧崖が現れました。僧崖は、目の前の家畜を指差してこう告げます。ジョウ族の言葉が他の民族にはわからないように、そこにいるニワトリやブタが鳴くのも何事かを話しているのだ。人も動物もみなひとしく仏性(ぶっしょう、ブッダとしての本性)を持っている、これからは農業につとめ畜産をやめよ、と。

 

5世紀に『涅槃経(ねはんぎょう)』という経典が翻訳されると、すべての人と動物が仏性を持っていること、大乗仏教の求道者は肉を食べないことが、中国の仏教徒に知られ始めます。ジョウ族と漢族との二つの社会を生きた僧崖にとって、ちがう言葉を話していても同じく人であるという認識は、ヒトと動物の姿形はちがっていても同じく本性はブッダであるという信念へとつながるものでした。彼はこうして経典の教えを自らの生に体現したのです。少なくとも、彼の伝記を語り継いだ人々はそう考えたと言えましょう。僧崖の生涯は、新来の仏教が人々の価値観をきびしく揺るがした時代の挿話として、忘れ難い印象を残すものです。

 

 

齋藤 智寛(さいとう ともひろ)

東北大学大学院文学研究科准教授

仏教を中心に、魏晋南北朝隋唐時代(3~10世紀)の中国思想を研究しています。宗教的な話題は興味を持つ人と持たない人とにくっきり分かれがちですが、たとえ疑念や反発であれ、ここで紹介した僧たちの逸話が何らかの形でみなさんの記憶に留まることを願っています。

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