2019年08月27日
  コラム

コラム「歴史家の仕事から」人々の生活を支える質屋

「質屋さん」

街を歩いていると、「ブランド品高価買取」や「金・プラチナ無料鑑定」といった、派手な看板を目にします。お客さんは持っている高級腕時計や貴金属などを売り、お店はその代金を支払う。これを「質屋さん」だと思っているみなさんも多いかもしれません。しかし、古くから質屋業をされている、いまでも駅前の路地裏を歩くと「しち」「ひち(大阪や名古屋など)」の案内を出しているお店があります。こちらでも商品を預けるお客さんが、お店から「お金を借りる」というシステムで運営されています。どちらも質屋さんに変わりはないのですが、そもそもこのような商売はいつからあったのかを考えていきましょう。

 

取引のルール

お金を借りるために預ける品物は「質物(しちもつ)」といいますが、「質草(しちぐさ)」や「質種(しちだね)」とも呼ばれます。日本の質物取引は、鎌倉時代よりも前からあったといわれますので、少なくとも800年以上の歴史があります〔齋藤博『質屋史の研究』1989年〕。お金の貸し借りに加えて、借り主が品物を差し出すことで、返済期限までに利息を含めてお金を返せばその質草が戻ってくる。もし約束の日時までに返せなかったときには、さらには品物が「質流れ」といって、預かっている質屋がどこに売ってもかまわないことになります。

 

なぜ質屋でお金を借りるのか?

質屋の商売は、小口金融だといわれています。会社でまとまった支払金が必要だ、または個人でも家を新築する資金が必要になると、銀行などでお金を借ります(大口金融)。それとは違って、ちょっと給料日までお金が足りない、あるいは少しの間だけ「つなぎ」の資金が必要だ、といったときに質屋さんを利用することが一般的でした。みなさんの周辺でイメージしてくださるとわかりやすいですが、親子や兄弟でお金に困っている人がいれば「お金を貸してもいいよ」と無条件でやりとりをするかもしれません。しかし、あまりよく知らない人に「お金を貸してほしい」と頼まれた場合、「はい、どうぞ」と差し出すでしょうか。必ず「返さなかったときのこと」を考えるはずです。そこで登場するのが質草になるわけです。

お金を借りる人も返済する気持ちがあって、質屋さんに品物を持ってくるので、庶民の生活を支える存在として、質屋業が成り立っていました。

 

どんな物を「預ける」のか?

江戸時代の村にあった質屋さんの記録をたどってみることにします。大阪の町から少し離れたところに河内国丹南郡岡村(現大阪府藤井寺市)がありました。岡村のなかで質屋をしていた岡田家では、近所の村人から着物やふとんを預かり、それに見合うお金を貸しています〔渡辺尚志編『畿内の豪農経営と地域社会』2008年〕。全体の取引を確認していくと、①

1件あたりの貸付金額は少ない、②借りている人たちは庶民、③岡田家は質屋でそれほど儲けていない、という特徴がわかります。やはり、金融業という大きな仕事にはならず、庶民が「ちょっとお金が足りない」と相談し、質屋の経営者は困っている人をたすけようとする意識があったのかもしれません。

 

白石市渡辺家文書 弘化3年(1846)「乍恐質屋渡世御免被成下度奉願上候御事」
この文書で渡辺屋儀蔵は、町人たちのために質屋を開業したいと領主に願い出ている。

 

明治維新と質屋

日本全国に広がっていた質屋には、江戸幕府や領主から法令を守るように指示がありました。質屋に入る品物は盗難品であるかもしれないし、またお金のやりとりが発生するので、厳しい規則をつくっています。現在の宮城県白石市で質屋を経営していた渡辺屋儀蔵は、開業をするときに領主へ提出した文書で、「鎗(やり)・鉄砲・日本刀は取引しない」と約束をしています。それは社会的不安を招くことを想定し、武士が持つべき刀や鉄砲を民間人に流出しないよう取り決めたものでした。実際に、江戸時代末期の渡辺屋では町人たちがふとん・ゆかた・絹織物を質入れしている記録がたくさんあります。しかし、1868年の戊辰戦争直後になると、白石の武士たちが渡辺屋へやってきて、刀を預けてお金を借りるという事例がしばしばみられます。戦争が終わり、仕事のなくなったサムライたちは大切に守ってきた刀を手放し、新しい生活へと向かったのかもしれません。

 

質屋は日本だけではなく、世界各地で重要な仕事です。たとえば、イタリアでは1460年代にモンテ・ディ・ピエタ(公営質屋銀行)という質屋が誕生しています。これは、貧しい人々を救済する目的で立ち上がった公的機関です。日本でも1927年に公営質屋が設けられ、それまでの私営と並んで人々の生活支援にかかわっていました。時代は移り変わり、お店のスタイルも同じではありませんが、生活を支える質屋はこれからも続いていくことでしょう。

 

 

【プロフィール】

荒武 賢一朗(あらたけ けんいちろう)

東北大学東北アジア研究センター上廣歴史資料学研究部門 准教授

日本近世史・経済史専攻。江戸時代の経済や社会を古文書から分析する。地域で大切に守られてきた歴史資料を保全し、未来への継承を目指している。

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