2018年04月23日
  東北大学コラム

【どうなる?未来の砂浜】第2回 そして、砂浜はなくなった ~日本の砂浜の過去~

東北大学災害科学国際研究所 准教授    有働恵子

仙台放送ニュースアプリ【みんなのゼミ】にて
2016年4月26日掲載

 

第2回 そして、砂浜はなくなった ~日本の砂浜の過去~

東北大学災害科学国際研究所の有働です。
前回は、砂浜がどのように作られるかをお話ししました。
今日は、過去、日本の砂浜がどのように変わってきたかという話をしてみたいと思います。
タイトルが示すように、今日はちょっと暗い話題です...

「過去」といっても、何千年も前ではなく、ここ100年くらいのお話です。
私の専門は海岸工学なのですが、海岸工学って、海岸をどのように管理するかを考えるために必要な学問で、海岸でおこる波や風などの自然現象やそれによる海岸の変化や災害ももちろん重要なのですが、人為的な影響もとても重要です。

私たちが積極的に沿岸域を利用するようになったのは、特に戦後のことです。
海岸法が制定されたのも1956年のことで(たった?の60年前!)、河川法の制定が1896年であることを考えても、つい最近のことです。

明治初期の1872年に3,500万人だった日本の人口は、30年後の1902年には4,500万人に、60年後の1932年には6,600万人に、海岸法が制定された1956年には9,000万人を超え(参考資料はこちらから)、多くの人々が沿岸域にも住むようになっていきました。

今では、沿岸域には大都市が集中し、砂浜は余暇を過ごすなど利用面でも重要な場所となりました。

さて、話を戻して...
過去100年間で、どのように砂浜環境が変わってきたのか?
これには、日本の経済成長と海岸法が大きくかかわっています。

この図は日本の5つの砂浜海岸について、1900年から2008年までの砂浜幅(砂浜の一番陸側から海岸線までの距離)の変化を表したものです。図を見ると1900年頃から1950年頃の砂浜はあまり変化がないのですが、1950年頃から1990年頃にかけて、急激に砂浜が減少しています。

そう、この時期はちょうど戦後の日本の高度経済成長期と重なります。
沿岸域では、大規模な埋め立てが行われ、急速に沿岸開発が進められました。堤防建設や護岸などにより沿岸域の防災対策も進められました。これらに加えて、建設材料となる砂利採取やダムの建設が行われ、河川から海岸への土砂供給が減少したことが、砂浜の侵食が進行した原因といわれています。また、新潟などにおいては地盤沈下の影響を大きく受けています。

図:日本の5つの海岸における1900年頃から2008年頃までの海岸線位置の変化(吉田ら、2012)

参考資料はこちらから

図:1947年、1968年、2006年の宮城県山元海岸の空中写真(国土地理院撮影)。上下方向に白っぽく映っている部分が砂浜。

主に人為的な影響で急速に失われた砂浜。
一方、砂浜がなくなっていく過程で、防災対策は格段に進み、自然災害による被害は減少していきました。

図:自然災害による死者・行方不明者数(平成27年版防災白書,内閣府)
参考資料はこちらから

このような状況の中で、海岸管理の主眼は、「防災対策」から「侵食対策」へとうつります。

次回は『美しく、安全で、いきいきした海岸を目指して ~日本の砂浜の現在~』です。

 

【プロフィール】
有働恵子
東北大学災害科学国際研究所 准教授
筑波大学大学院工学研究科において博士課程修了。独立行政法人 港湾空港技術研究所 研究官を経て、2006年東北大学大学院災害制御研究センター 助手(2007年より助教)。2010年同センター 准教授を経て、2012年より現職。このコラムの掲載にあたり、自分で撮った砂浜の良い写真を探すのに苦労したので、写真の腕を磨こうと画策中。

※所属等は取材当時のものです。

 

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