2019年03月27日
  コラム

花粉症の原因は人々を救うためだった

東北大学東北アジア研究センター上廣歴史資料学研究部門 准教授    荒武賢一朗

【写真】「明治40年3月より施行 生業扶助植林事業関係書類綴」(利府町教育委員会所蔵)
この歴史資料は凶作で生活困難になった人々「窮民」のために村役場が植林事業を展開したことを詳しく書き留めている

 

花粉症に苦しむ現代日本

毎年、春が近づいてくると鼻がムズムズ、くしゃみが止まらない、という方は多いですね。とくに花粉が冬の間に力をたくわえて一気に飛散をはじめるこの季節は大変です。いま日本で5人に1人はスギ由来の花粉症にかかっている、というデータもあります。このように書きながら私も鼻水が止まらず、とても困っています。

 

社会のなかで大きな問題になっている花粉症には、さまざまな対策が進められています。病院のお医者さんたちの努力はもちろん、製薬会社やマスクの研究開発、症状をやわらげる食品の発見など、「国民病」を乗り越えるための知恵と労力がたくさん注ぎ込まれているのです。苦しくて勉強や仕事にも影響の出ているみなさんには申し訳ないのですが、これを少し客観的に考えてみると、社会の危機に対応した新しい産業だと評価することもできます。つまり、医療の発展とともに日本経済の歴史にとっても大きなインパクトを与えているのだといえます。

 

なぜ日本列島にスギがたくさん増えたのか?

花粉症の原因となるスギは、全国各地の山々にたくさん植えられてきました。ただし、北海道や沖縄ではほとんど植林されることなく、本州・四国・九州がその対象地域です。花粉症にかかっている人々が多いのは、長野県・山梨県・高知県だというデータがあるのですが、この3県はいずれも緑豊かな山地があり、スギの植林を積極的におこなったところです。

 

日本の山林でスギが増えたのは人工的に植林をしたからだといわれ、それも第二次世界大戦前後に木材資源の不足から意識的にスギやヒノキを植えたとされています。家を建てるために、あるいは木材加工品にも利用しやすいスギは経済的な観点から急速に拡大したのです。当時、植林を推進した人たちは未来の日本で大きな被害が出ることを想定せず、社会経済の発展を目指して資源を作り出そうと考えました。

 

生活改善のための救済事業

戦争による資源確保というねらいがあったと書きましたが、歴史資料を調べてみるとスギやヒノキの増加はさらに時代をさかのぼります。20世紀に入ったころ、東北地方や北海道では冷害によって大凶作が次々と発生しました。宮城県では明治38年(1905)の被害がもっとも大きく、お米の収穫量は平年の1割から2割に激減しています〔『仙台市史 通史編6』〕。農産物が十分にないため、当然食料品の物価は高くなり、売る物がない農家は苦しい経営状態となりました。とくに貯蓄の少ない家庭は深刻で、当時の宮城県が実施した調査では人口の32%(約28万5000人)が自力で生活が困難な「窮民(きゅうみん)」だと指摘されています。

 

窮民の支援をするため、宮城県や慈善団体は救済活動を実施しますが、それは緊急の食糧や物資の供給だけではなく、生活の安定を目指す動きも同時におこなわれました。そのひとつが植林事業です。仙台市に近い利府村(現・利府町)では、420人の窮民が確認され、この人々の救済を考える必要がありました(「利府町役場文書」)。非常に良いアイディアとして注目されたのが利用されていない村有地に3万本のスギを植えることでした。宮城県や利府村は「生業扶助事業(経済的に困っている人々をたすけようとする事業)」と名付けて、スギの苗木を購入し、事業が実施される2か月の間に窮民たちを雇って植林作業をおこなったのです。

 

宮城県加美郡小野田村(現・加美町)でも同じころに10万2000本のスギを植樹し、これにはのべ500人を雇い、また山の手入れをおこなう作業にも680人を投入しました(宮城県公文書館「明治35年凶作義捐金使用方法」)。小野田村ではこのほかにもわら細工や土木工事を計画しましたが、恵まれた山野を活用する植林は重要な産業育成だと認識されていたようです。

 

窮民たちは現金収入によって生活費が手に入り、村役場は空き地に植林することで財産が増えて将来的には木材取引で利益を得られるという双方のメリットがありました。当然、スギが成長するには50年以上の歳月が必要ですが、いま困っている人たちを救い、未来の財産にもなるという発想は各地で受け入れられて大規模な事業に発展していきます。

 

現在の私たちからすれば、「なぜスギなんか植えたんだ!」と当時の人々を恨むような気持ちになります。しかし、社会のなかで困っている人々を助けようと考えた結果、もっとも有効な方法が植林事業の促進だったということです。スギ、花粉症をめぐる歴史が今後どのような道のりをたどるのか、注目する価値は十分にあるでしょう。

 

 

【プロフィール】

荒武 賢一朗(あらたけ けんいちろう)

東北大学東北アジア研究センター上廣歴史資料学研究部門 准教授

日本近世史・経済史専攻。江戸時代の経済や社会を古文書から分析する。地域で大切に守られてきた歴史資料を保全し、未来への継承を目指している。

※所属等は取材当時のものです。

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