2019年12月24日
  コラム

温泉を舞台に「温泉の歴史」を紹介① 江戸時代の温泉経営とは?…東北大コラム「歴史家の仕事から」

江戸時代の温泉①

江戸時代の歴史を調べようとするとき武士・農民・商人がのこした古文書が参考になります。しかし、世の中にはたくさんの職業があって、そこから社会が成り立っているというのは、むかしもいまも変わりません。最近ご縁があって、江戸時代から温泉・旅館の経営に関する歴史資料を調査しています。そこで勉強をした内容から、宮城県白石市の鎌先(かまさき)温泉を舞台に「温泉の歴史」をみなさんにご紹介します。

 

温泉の発見

鎌先温泉は宮城県南部の緑のはえる山々に囲まれ、静かなたたずまいのいい環境にあります。一般的には、「小さな谷あいに拓けた鎌先温泉は、600年以上も昔、村人が鎌の先で発見したと言い伝えられており、奥羽の薬湯として知られています。かつて伊達の殿様もつかったという名湯で、幕末には大変なにぎわいをみせました。」(白石市商工観光課ホームページ「弥治郎と鎌先温泉」より引用)、という説明がされています。

 

仙台藩5代伊達吉村の和歌
宝永5年(1708)に吉村が鎌先温泉の薬師堂へ奉納しました。

 

この温泉の歴史がはじまったのは、正長元年(1428)だといわれています。いまから200年ほど前に書かれた資料によると、田畑の肥料にするための草刈りをしようと白石(現在なら車で10分ぐらいの距離)からやってきた樵夫(きこり)が、山のなかで水が湧き出る音を聞きました。近づいてみると、蒸気がのぼっているので、その岩を鎌でたたき割り、温泉を掘り当てたとあります。彼が「鎌の先」で見つけたから、「鎌先温泉(江戸時代には鎌崎とも)」と名付けました。発見者の樵夫は温泉場をつくり、ここに移り住んだものの、康正元年(1455)の大洪水によって温泉は壊滅的な被害を受け、営業ができなくなったようです。

 

一條市兵衛の再興

それから100年以上経過した天正元年(1573)、京都から白石に来ていた一條市兵衛(いちじょう・いちべえ)は「近くに温泉の出るところがある」という話を聞き、鎌先温泉に行ってみることにしました。温泉につかってみたところ、「この湯は有馬温泉(現在兵庫県神戸市)と同じだ」と高く評価し、これを繁昌させれば後世に名をのこすことができると考えます。ただし、ひとりで可能な事業ではないため、地元の人たちに意見を求めました。彼らも市兵衛を「湯主(ゆぬし)」にしようと賛成し、長年休眠状態にあった鎌先温泉が復活するのです。市兵衛は自ら資金を負担して温泉場の整備、客舎の建設に乗りだし、しだいに遠方からもお客さんがやってくるということで、名湯の評判は高まっていきました。

 

「由緒の鎌」
鎌先温泉を発見した樵夫(きこり)が使ったとされる鎌の絵

 

湯守の仕事

初代市兵衛のあと、現在に至るまで一條家の当主は代々鎌先温泉の経営をおこなっています。江戸時代には仙台藩から「湯守(ゆもり)」という役職を与えられています。この湯守とは温泉の管理人という意味ですが、温泉と宿屋の営業を引き受けて、お客さんから湯銭(ゆせん)という入湯料を取ることが許されました。もちろん、その収入の一部は藩に上納することになります。私たちのイメージからすると、開発した人(ここでは一條市兵衛とその子孫)が温泉の所有者ではないかと思うのですが、形式的には藩(殿様)のもの、実態は一條家の財産、ということになりました。

 

重要な資源

鎌先温泉は、遠刈田・青根・秋保・鳴子などの名湯とともに仙台藩の支配下にありました。湯守に任命されるのは、そうした関係からきているのですが、当時仙台藩が温泉を管理する役所は「金山方」と呼ばれるところでした。金山とは文字通り、金や銀・銅の採掘を統制するためのセクションで、温泉の管理もここに含まれていたのです。鉱物は財政に大きな影響を持ちますが、同じく温泉も貴重な資源として扱われたといえるでしょう。

 

温泉と健康

温泉といえばレジャー、のんびりほっこりと休める、と連想するのですが、江戸時代の人々は病気やケガをなおす湯治(とうじ)を目的に、温泉で健康回復を願っていました。文化7年(1810)に出版されたガイドブック『旅行用心集』では、全国の有名な温泉とともに鎌先については「打身(うちみ)・切り傷に最も効果がある」と紹介されています。そのほか、中風(ちゅうぶ)・脚気(かっけ)・疝気(せんき)といった病気にもよくきくと説明があります。時代の移り変わりによって、温泉の社会的位置は違ったものになってきたのかもしれません。

 

 

【プロフィール】

荒武 賢一朗(あらたけ けんいちろう)

東北大学東北アジア研究センター上廣歴史資料学研究部門 准教授

日本近世史・経済史専攻。江戸時代の経済や社会を古文書から分析する。地域で大切に守られてきた歴史資料を保全し、未来への継承を目指している。

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