2018年08月27日
  東北大学コラム

見えない侵略者 第1回 人と感染症の戦いの歴史

東北大学名誉教授 磯貝惠美子(いそがい えみこ)

 

第1回 人と感染症の戦いの歴史-プロローグ1

物語は昔々ではじまります。代々伝承された語り部の話の中から私たちは感染症を垣間見ることができるかもしれません。怖い話のひとつとして「亡者道」というお話があります。乗鞍岳の付近に精霊田と呼ばれる沼が点在している場所があります。ここには小さな道が存在しており、亡者道と呼ばれています。現在もここはオカルトスポットとして有名です。

 

さて、ここでは一切の殺傷が禁じられている場所でした。江戸時代のころでしょうか、平十郎という男は亡者道を狩場としてしまいました。ある日平十郎は、捕らえた鳥に片目を刺されてしまい、近くの山小屋で手当てして、そこで寝ることにしました。夢か現か彼の目の前に火の玉が現れました。平十郎は火の玉を追いかけました。火の玉は重なって髑髏となり、今度は彼を追いかけ始めました(1)。

図1  亡者道

 

逃げる平十郎は精霊田の沼に落ち、彼の祖父も亡者道で狩りをして片目を失ったことを思い出します。その後、何とか逃げおおせたものの、平十郎は気がふれてしまいました。

 

平十郎のように禁忌とされた場所で野外活動をする場合は何らかの病原体が維持されている野生動物の世界に足を踏み入れることになります。病原体の概念がなかった時代は病原体に汚染している可能性のある場所へ足を踏み入れるときの注意喚起に昔ばなしが利用されていたのかもしれません。

 

平十郎は最後に気がふれたとありますので、神経症状を呈する感染症を起こす病原体に暴露された可能性があります。それは、鳥からの直接伝播なのか沼という環境を介した間接伝播かはわかりません。

 

現代社会において野生動物は人間とは異なる生活圏内で生きているため直接人間に感染症を伝播する機会は少ないと思われるかもしれません。しかし、私たちの身近なところにも多くの野生動物が生息しているだけでなく、交通網の発達によって動物由来の感染症は広がりを見せています。ウエストナイル病のようにアフリカの特別の地域の風土病だったものが世界への広がりを見せている例もあります。

 

病原体が発見される前のことを少しお話したいと思います。ヒトは見えないものを恐れます。病原微生物は目に見えず、過去の歴史の中で妖怪、病魔、悪鬼などの仕業とされたりしました。病原微生物の実態を知らなければ、感染症を起こすものは様々の形で具象化できます(2)。

図2  感染症の原因がわからなければ人は様々の変化を想像する

 

実際、江戸時代に流行したコレラは虎狼狸(江戸時代の絵巻などに登場、ころうり)という妖怪によるものだという流言がありました。明治時代の錦絵新聞の記事で虎狼狸は実在しない獣と断ったうえでコレラは恐ろしい病気と認識するように述べています。なお、虎狼狸の頭は狼、背は虎、腹は狸といった感じです(3、ちょっとまねて描いてみました)。1858年(安政5年)の流行は相次ぐ異国船来航と関係し、コレラは異国人がもたらした悪病であると信じられもしました。

図3 虎狼狸

 

紀元前400年ごろギリシアのヒポクラテスは感染症がヒトからヒトへ伝播することを知っていました。おおよそ同じ時代にツキジデスはペストから回復したヒトはペスト患者の世話をしても再びペストに罹患しないことを観察していました。古代エジプトのミイラからすでにペスト感染があったことが示されています。

 

人類の文明発祥の時代にペスト感染があると、患者は隔離されて感染の広がりを食い止めようとしていたようです。ペストはYersinia pestis (ペスト菌)による感染症です。

 

ペスト菌の発見は1894年に北里柴三郎とYersinによって第3回目の世界流行のあった香港で発見されています。香港ペスト調査団では日本の医師3名がペストに感染し、1名が命を落としています。ペストはしばしば散発的に発生するだけでなく、歴史の中で時には国を滅ぼすといわれた病気です。

 

第1回の世界流行は540~590年、東ローマ帝国ではじまりました。皇帝ユスティニアヌス一世は、東西両ローマの統合を目指し西方に向かって進撃を開始しました(図4)。

図4  ペスト第1回世界流行

 

東ローマ帝国軍はカルタゴとアフリカ北岸のほとんどを奪い返し、シシリー島を奪還してイタリアに渡りました。ローマなどイタリア中部の都市を占領、さらにスペインの一部も奪還しました。540年にエジプトのペルシウムでペストが発生(エスティニアヌス疫病)しており、軍事行動によって拡散したペストは542年には首都コンスタンチノープル(現在のイスタンブール)にまで及び、毎日5,000~10,000人の死者が出たとされています。

 

あまりの死者の多さに墓堀は間に合わず、城塞の塔の中に死者を詰め込むことや船に死者を積み込んで船ごと海に流すなどをしたとされています。ユスティニアヌス自身もペストに感染しましたが幸い回復し、長寿を全うしました。しかしながら、東ローマ帝国では多くの都市や村落が全滅し、農業の大部分が消滅し、多くの餓死者がでました。次回は第2回目の世界流行の話から始めたいと思います。

 

 

プロフィール:

磯貝惠美子 (いそがい えみこ)

東北大学名誉教授

東北大学の磯貝惠美子と申します。これまで、人や動物に病気を起こす細菌の研究などを行ってきました。見えない侵略者-微生物感染症を中心にコラムを連載していきます。よろしくお願いします。現在は40年間にわたる研究生活を終えてフリーター人生を楽しんでいます。東京下町生まれの江戸っ子です。動物のお医者さんになる!(+アフリカに行く)と決めて、北海道大学獣医学部に進学しました。ラスト8年間は東北大学農学研究科動物微生物学分野で学生さんたちと細菌感染症や抗菌ペプチドの研究など頑張ってきました。東北で生きる科学者の使命として福島原発問題に対峙し、被災家畜を通して内部被ばくの実態調査なども行ってきました。人生は短い-1日1日を大事に生きていきたいと考えています。

 

趣味はいろいろ。アニメやマンガも大好きです。ライム病の研究がてらマダニ採取が趣味の時もありました(ダニコレ)。石を集めていた時もあります(イシコレ)。絵を描くことも好きですが、学会発表の時のパワポを作成するぐらいでした。コラムではせっかくなので、絵や4コマ漫画なども描いてみたいと思っています。

※所属等は取材当時のものです。

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