2018年11月15日
  まなぶひと

まなび情報誌「まなぶひと」 2018年12月号 Vol.45

特集:旧制二高企画展

―天は東北、志尚くー

 

1887(明治20)年、全国5つの「高等学校」の一つとして設置され、のちに東北大学に包摂された旧制第二高等学校。自由と自治を重んじ「雄大剛健」の校風で知られた旧制二高では、生徒たちや教授陣により実に生き生きと色鮮やかな学校生活が繰り広げられていました。そんな二高の歴史と文化の一端を紹介する企画展が、東北大学史料館で開催されています。

1946(昭和21)年12月、寮祭の日の二高生。背後に見えるのは蜂をあしらった寮祭のアーチ。

 

1945(昭和20)年、二高自動車部が購入した「いすず」が届いたときの記念撮影。

 

時は明治。近代の学校教育の礎が着々と整えられていった時代。市民の多くは尋常小学校や高等小学校を卒業した後は働くのが一般的で、高等学校、そして大学へと進学するのは本当にごく一握りのエリートだけでした。

最高学府である大学への進学や医師の養成を目的とした二高の授業で特に重視されたのは、その後の専門的な学問に取り組むための素養となる外国語。名物教授と言われた粟野健次郎や土井林吉(晩翠)も英語の教鞭をとっていました。

 

土井林吉(晩翠)。1924年頃

 

部活動もまた非常に活発で、生徒の人間形成において重要な役割を果たす学校行事と考えられ、野球やテニス、スケートなどの近代スポーツも外国人教師を介して伝わりました。二高のスケート部が使用した現在の仙台市博物館前の五色沼は、日本におけるスケート発祥の地でもあります。

 

五色沼での二高アイスホッケーチーム

 

二高の校風は「雄大剛健」として知られていますが、それを樹立したといわれる人物が第五代校長で倫理学者であった三好愛吉です。彼は二高の寄宿舎「明善寮」の隣に住み、その住居は寮生から丸見えでしたが、「私の生活の総てが教育です」というほど、芯からの教育者でした。

 

三好愛吉(1870-1919)の肖像。当時野球は舶来の”狡賢い”スポーツとして嫌厭されていたが、三好はその戦略的要素が教育につながるとして擁護していたという。今に伝わる試合開始前の”礼”は、その狡さを薄めるために三吉が導入したもの。

 

野球部の練習風景。1914(大正3)年頃。

 

広々とした野に出た時に感じるような闊達な心や、都会にはない東北の厳しい自然の重厚さ、そして逆境に堪える剛健さを美風として語り、それに感化される形で「雄大剛健」の学風が確立されていったといいます。

昭和初期に「弊衣破帽」の「蛮カラ」スタイルが流行したもの「外見に惑わされない」という二高精神の表れのひとつ。

学風とは何なのか。時を超え継承された精神とはどのようなものだったのか。目に見えないけれど確かにそこに存在した「尚志」の心を映す品々が、今に伝えられています。

 

~尚志像と蜂章裏話~

元は旧制二高の校庭だった片平キャンパスの中庭に建つ「尚志像」は、旧制二高が百周年を迎えた1986年、宮城県出身の彫刻家佐藤忠良により制作されました。「尚志」とは『孟子』から取られた二高校友会の名前。旧制高校というと「蛮カラ」のイメージが強いですが、それは昭和に入ってから。明治大正期の二高生像をも併せて表現するのには苦労したようです。

 

二高の校章であった「蜂章」ですが、実は物によって蜂のデザインはさまざま。蜂の意味は「働き蜂のごとく勤勉に」とも。

最後の卒業生により寄贈されたバックル、ボタンに帽章など。

 

 

東北大学史料館企画展

「蛮カラ学生の学び舎~旧制二高とキャンパスの変遷~」

【開催期間】~12月14日(金)まで 【休館日】土日祝(12/2は開館)

【開催時間】10:00~17:00(土日祝は16:30まで)

【会場】東北大学史料館2階展示室

【問い合わせ】東北大学史料館 TEL:022-217-5040

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