2019年09月04日
  まなぶひと

まなび情報誌「まなぶひと」 2019年9月号 Vol.61

特集:東北⼤学附属図書館所蔵 デルゲ版チベット⼤蔵経

多⽥等観とチベット⼤蔵経

 

(写真)大蔵経は、上:カンジュルと呼ばれる赤く刷られたブッダの教え(仏説部)と、下:テンギュルと呼ばれる黒く刷られた注釈(論疏部)の二つの部門に分けられる。いずれも東北大学附属図書館所蔵。

 

チベット大蔵経。インドの仏典をチベット語に翻訳し、集成された経典集。チベット人、そして協力者であるインド人たちの努力の結晶であるそれは、今ではサンスクリット原典が失われた多くの典籍をも網羅しており、仏教研究に欠かすことができない。数多くの大蔵経のうち最も重要な一つが、東北大学附属図書館にある。『デルゲ版チベット大蔵経』である。

 

このデルゲ版チベット大蔵経を日本に請来したのは、多田等観。秋田の寺に生まれ、思いがけずチベット僧のために通訳のような仕事に就き、1913年23歳のとき、ほぼはだし同然でヒマラヤを超えて単身鎖国状態のチベットに入国、その後11年間、チベットの寺院に入り仏教の研究、修行に勤しみ、チベット仏教で最高の学位、ゲシェーの称号を与えられたという何とも数奇な半生を辿った人物だ。

多田は、チベットの統治者、そしてチベット仏教の法王であり、観音の生まれ変わりとされるダライ・ラマ13世の恩寵を受け、一修行僧と法王、一学生と統治者いう関係では到底結び難い親交を重ねた。このダライ・ラマとの親密な交流により、多田は帰国の際、チベット大蔵経をはじめとした24,279部にのぼる貴重な経典や稀覯書を日本に請来することができたのである。

 

大正12年、帰国直後の多田等観。

 

木版により刷られる大蔵経は、その版木の作られた場所が異なる複数の版が存在しているが、東北大学附属図書館の所蔵するデルゲ版は、カム地方のデルゲ・ゴンチェンという寺で開版された。デルゲ版は正確な文典的校訂を経たとされており、また、他版と比べて文字の印刷が極めて鮮明であるという特徴をもつ。あまりに美しい版であったため、願主デルゲの王は、この版を制作した優秀な版工の右手を切断し、他でこれ以上の美しい版ができないようにしたという伝説があるほどである。このデルゲ版をチベット外の世界に初めて持ち出したのが多田であり、そのデルゲ版チベット大蔵経が、東北大学にあるのである。

 

帰国した多田は、チベットより請来した経典などの整理、研究のために東北帝国大学に籍を置いた。当時、地元仙台の学術振興のためにと多大な研究支援を行っていた齋藤報恩会がその価値を認めデルゲ版チベット大蔵経を購入し、東北帝大に寄贈することとなったのが、その経緯である。

 

東北帝大にて多田は自らの請来品の整理に取り掛かり、宇井伯寿らとともにデルゲ版西蔵大蔵経の世界初の文献学的目録の刊行、またチベット仏教ゲルク派の開祖ツォンカパやプトゥン、数代のダライ・ラマ著作全集などのいわゆる蔵外仏典230帙の目録「西蔵撰述仏典目録」を羽田野伯猷とともに編纂する。なかでも後者の目録は、それぞれの仏典名をチベット文字、チベット語のローマ字転写、日本語、英語の4つで表し、また英語にて出典である大蔵経との関係などの解説が付してあり、その収録数といい内容といい、それまで明らかにされていなかったチベット仏教の主要文献をまとまったかたちではじめて明らかにしたという点で、非常に卓越した実績であった。

 

1帙ごとに板に挟まれて保管されている。中央には斎藤報恩会の蔵書票が。

等観と宇井伯寿の自筆サインが認められた「西蔵大蔵経総目録」。いずれも東北大学附属図書館所蔵。

 

ダライ・ラマ13世と深い信頼関係を築き、また近代チベット史において燦然たる業績を残した多田等観であるが、残念なことに彼の名を知るものはそう多くはないだろう。あるいはその業績のみから彼を思い描くとき、きっと聖人のような人物を思い描くかもしれない。

けれど、一度、作家の牧野文子が多田から聞いた話をもとに著した「チベット滞在記」を読んでみてほしい。二十歳そこそこの青年がどのようにして単身チベットに行くことになったのか。そこにはどんなドラマがあったのか。世界情勢の不安定な20世紀初め、まさに命の危険を冒しながら各国の国境を越え、自らの足のみで未開の異国を目指した彼自身の生きた描写、ダライ・ラマ13世や他の僧との数々の心温まる親交のエピソード、そして当時のチベットの食べ物や美しい祭りや奇異な風習、宗教が国家であるチベットの独特な政治や多田自身がかかわった税の仕組みなど、多田を通して語られたチベットという国での生き生きとした逸話の数々に、きっと心が奪われることであろう。

 

多田に仏教を教えることにより、チベット仏教を世に広く知らしめ、世界に平和をもたらしたいと願ったチベットの僧たち。そしてそれを実行しようと努めた多田。その多田の持ち帰った数々の資料と、そして彼自身によって直接伝えられた教えの成果が、今後ますます、世界中の人々の役に立つことを切に願う。

そしてまた一方で、多田青年のチベットでの貴重な体験談を多くの人が読み、多田という男がどのような人生を辿ったのか、どんなに魅力的な人物であったのか、少しでも知る人がこれからも少しずつ増えていくといいなとも、思う。

 

【セミナー開催のお知らせ】

東北⼤学が所蔵するデルゲ版チベット⼤蔵経などに関するセミナーが開催されます。

どなたでも来聴いただけますので、ぜひお越しください。

⼊場無料・申込不要。
[ ⽇時]2019/9/4( ⽔) 15:30-17:00
[ 会場] 附属図書館本館多⽬的室
[ お問い合せ] 附属図書館貴重書係
etsu2@grp.tohoku.ac.jp

詳しくは、こちら

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