2017年07月27日
  東北大学コラム

トランプ時代の中東と仙台(前編)

東北大学 法学研究科・公共政策大学院 教授  若林 啓史

1.中東情勢の節目

2010年夏に東京からシリアの首都ダマスカスに転勤しましたところ、翌2011年になって突如「アラブの春」が発生しました。チュニジアから発生した政変の嵐が瞬く間にエジプト、リビア、イエメン、シリアなどに波及したのは記憶に新しいと思います。「アラブの春」が始まった当初は、中東の長期独裁政権が民衆の力で次々と倒されて、世の中では大変良いことのように受け止められたのです。

しかし、各国の政権が倒れていった後に現れてきたのは、現地の民衆や国際社会が期待したような自由と民主主義を謳歌する安定した中東ではありませんでした。中東で百年以上にわたって形成されてきた政治的な地合いには大きく二つの潮流があって、世俗的なアラブ民族主義と、イスラーム復古主義が二匹の大蛇のように絡み合ってきたのです。世俗的なアラブ民族主義は、中東諸国の主に軍事政権に採用されました。そして社会主義的な経済運営や反帝国主義の外交政策を掲げながら、冷戦下では東側陣営に接近しつつ欧米支配からの脱却を目指しました。

 

一方イスラーム復古主義は、「ムスリム同胞団」に代表されるようにそれぞれの国で草の根の支持を広げ、政権への批判者になってきました。反植民地支配という点では両者は共通ですが、その政治表現には大きな違いがあったのです。

 

そこで、「アラブの春」によって軍事政権が倒れると、もう一匹の大蛇、つまりイスラーム復古主義が急激に鎌首をもたげたのです。イスラーム復古主義とこれへの対抗、あるいは復古主義内部の勢力争いが始まり、2011年以降の中東は大混乱に見舞われました。シリア情勢を見てもお分かりのように、流血を伴う混乱は現在も続いています。その影響は中東だけではなく、中東から周辺諸国、 特にヨーロッパに及んできました。中東からの難民問題は大きな人道問題に発展しました。そのような難民が関与したとされるテロ事件は、毎月のように多くの人々を恐怖に陥れています。

 

「アラブの春」の、どこにボタンのかけ違いがあったのでしょうか。2011年、チュニジアで偶発的に発生した大衆の抗議運動や、エジプトで広場を埋め尽くした民衆の怒りは、確かに純粋な、「市民革命」の色彩を伴った出来事であったかも知れません。しかし、「市民革命」の火花は瞬く間に既成の政治勢力によって乗っ取られ、彼らの政治目的実現の好機とされました。イスラーム復古主義による政権奪取を支援したのは、主に湾岸諸国とトルコです。

 

欧米は、イラク戦争でサッダーム政権を倒したように、強力な軍事独裁政権を倒せば扱いやすい親欧米政権が生まれるものと、当初は「アラブの春」を歓迎しました。しかしカダフィ政権が倒れて、自由になったはずのリビアにアメリカが任命した新大使は、混乱の中で暗殺されてしまいました。同じ頃のイラクとシリアには、「イスラーム国」が名乗りを上げました。欧米、それにロシアは、「アラブの春」にブレーキをかけることを密かに決意したに違いありません。

(続く)

 

【プロフィール】

私は昨年9月外務省から東北大学に参りまして、約二年の任期で公共政策大学院の実務家教員として研究・教育に従事しています。外務省に入省したのは1986年ですから、三十年ほど勤務したわけですが、その間海外ではシリア、 ヨルダン、イランにそれぞれ二回、イラクとオマーンには一回、合わせて十三年間にわたって中東諸国の日本大使館に在籍していました。これは外務省でアラビア語を研修した縁です。1990年には赴任先のイラクで湾岸戦争に巻き込まれ、2011年にはシリアでの混乱が発生し、いずれも大使館を一時閉鎖して隣国に退避する場面に出会いました。このたび仙台に落ち着いて静かな環境で中東 を眺めることができましたので、大学院におきましては若干の体験を元にした「国際危機管理」というワークショップを開講しています。並行して、学部と大学院合同の「外交史」という科目で、中東の近現代史を講義しています。

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