2018年02月16日
  東北大学コラム

「ロシア革命百年」から「維新百五十年」へ

東北大学大学院  文学研究科 准教授 浅岡 善治

・今から一世紀前の「革命」

1917年、人類が初めて経験する世界戦争のさなか、当時世界で二番目の支配領域を誇っていた大帝国ロシアが機能不全に陥り、三百年以上続いたロマノフ王朝が終焉を迎えた(露暦「二月革命」)。後継となった自由主義者(リベラル)・穏健社会主義者中心の臨時政府も安定した新体制を構築することができず、政治の主導権は次第に急進派へと移り、同年十月、ウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキ(後の共産党)が武装蜂起を組織して臨時政府を倒し、ソヴィエト政権が成立する(「十月革命」)。一般に「ロシア革命」と総称されるこれらの諸事件から、昨年2017年はちょうど百年にあたっていた。

 

このうち「十月」の出来事については、これは「革命」ではなくレーニン一派による「クーデタ」だという主張が当時から存在し、現在も相当の影響力を保持している。他方で、その実際の担い手であったロシアの革命家たちにおいては、かかる「革命」性は自身の実践の歴史的正当性の最大の根拠をなしており、以後ロシアでは、「クーデタ」説はもちろんのこと、政治実践上の「改革」のような穏健な言葉もまた忌避されることになった。

 

ソ連の体制的枠組みを確定したとされる20年代末からのスターリンの急進的かつ暴力的な社会改造への突進も、後のゴルバチョフによる「建て直し」の試みも、それらの内実とは必ずしも一致しない「革命」の修辞によって正当化された。ソ連において「改革」という言葉が一般化したのは最末期になってからであるが、そうした事態は、長らく同体制を支えてきた「革命」のエトスの最終的枯渇と表裏の関係にあったと言える。

 

ソ連の解体・消滅によって生まれた現代のロシア国家も自らの「革命」的過去との関係調整にいまだ戸惑いを残しており、それは「革命百年」に際しても様々な機会に伺えた。

 

・「革命」と変革の歴史的正当性

近代革命は英語では「レヴォリューション」、ロシア語では「レヴォリューツィア」で、いずれもラテン語起源である。アメリカの歴史家パイプスによれば、元々これは惑星の周期運動に関する天文・占星の用語であったが、17世紀のイギリス革命に際して初めて政治に適用され、18世紀後半のアメリカ独立、さらにフランス大革命を経て、回転運動のごとき軌跡を描く抜本的な政治変革を意味する用語として定着していったという。

 

言うまでもなく、転覆の対象となる伝統国家、旧体制側の観点からすれば、これは迷惑この上ない事態である。こうした近代革命の理念と日本人とのファースト・コンタクトはおそらく18世紀末のオランダ風説書を通じてであって、そこでは、数年前のフランス大革命について「臣下(しんか)之(の)者共(ものども)徒党(ととう)仕(つかまつり)、国王並(ならびに)王子を弑し国中乱妨(らんぼう)におよび申候(もうしそうろう)」とまとめられ、もっぱら臣民の狼藉行為として伝えられている。

 

「レヴォリューション」に類する洋語に初めて「革命」の訳語をあてたのは、福沢諭吉『西洋事情』(1866―68年)だとされるが、「革命」という漢語自体は中国最古の書物の一つである『易経』に見え、「(天)命が革(あらた)まり」、夏王朝から殷王朝への王朝交替が生じたことを表していた。しかしこれまた、長い皇統の継続性を重視する君主主義的立場からすれば大変不吉な言葉であった。

 

「草莽崛起」やら「御一新」やらが口にされたように、19世紀後半の日本で実現した幕藩体制の転覆と集権的な新体制の樹立には明らかに「レヴォリューション」の要素が伴っていたはずだが、やがて新政府は、これまた由緒ある古典から「維新」なる語を持ち出し、ソヴィエト政権とは全く対照的に「復古」の要素を強調することで自らの歴史的正当性を確保しようとした。

 

中国やロシアでの事件の影響もあり、大正期に入ると「革命」なる語は国内でもほぼ定着するが、現状変革の手段としてそれを公然と主張することはもちろん許されず、政治検閲では定番の削除対象語となった。そして本年2018年は、かの「維新」から百五十年の年とされている。

 

・「維新百五十年」と現代日本

百年、百五十年といった区切りは十進法の偶然であって、呪術的世界観にでも陥らない限りそれ自体には格段意味は無い。また、それを機縁とした政治的キャンペーンや、コマーシャリズム、センセーショナリズムの跋扈にも注意が必要である。しかし、人間が過去をかえりみ、自らの依って立つ地歩の歴史的座標を確認し、これからの進路を展望する良い機会ではある。

 

ロシア革命から百年、その最大の所産であるソ連が消滅してから四半世紀を数える現在、20世紀の様々な局面において既成秩序を揺るがした「革命」の現実的脅威は減退し、用語としてはインフレ、もとい一種の濫用状況にある。

 

報道等では世界各地における政治的変化にかなり安直に「革命」の語があてられるが、それらのほとんどは、百年前のロシアの革命家たちが挑戦・超克を試みた市場経済や議会主義、その他もろもろの近代的諸要素を、むしろ遅ればせながらに直接的に追求するものに過ぎない。

 

日本では、保守政権が人材育成や生産性向上などについて「革命」のスローガンを連呼し、方や共産党が「リベラル」にカテゴライズされるご時世である。我々は、少なくとも百年はさかのぼって、これらの言葉の歴史的重みを今一度考えてみるべき時かもしれない。

 

写真1:サンクトペテルブルク、フィンランド駅頭のレーニン像 ー ここで1917年の革命の「第二幕」が開いた。

写真2:幕末・維新期の錦旗(『戊辰所用錦旗及軍旗真図』所収の模写図、国立公文書館デジタルアーカイブより)。

 

【プロフィール】

東北大学大学院  文学研究科 准教授 浅岡 善治

東北大学大学院文学研究科博士後期課程修了・博士(文学)。日本学術振興会特別研究員(PD)、宮崎大学教育文化学部講師、福島大学人文社会学群人間発達文化学類助教授・准教授を経て、2013年10月より現職。専攻はロシア近現代史。編著に『ロシア革命とソ連の世紀』全5巻、岩波書店、2017年(松戸清裕、池田嘉郎、宇山智彦、中嶋毅、松井康浩との共編)。

 

※所属等は取材当時のものです。

 

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