2019年06月20日
  コラム

歴史のなかで「トイレ」を考える コラム「歴史家の仕事から」

タイトル:「一札」(尼崎市立地域研究史料館 寺田繁一氏文書)
この文書は、天明9年(1789)に作成されたものです。農民Aが「し尿」のくみ取りを契約している町家に、農民Bが断りなく勝手に取引をおこなったことが発覚しました。それで農民Bからお詫びをするとともに、今後はくみ取りをしないと約束する内容です。このような「取り合い」になることは、それだけ「し尿」の価値が高かったことを示しています。

 

ありふれた日常から

私たちの生活に欠かせないのは、「衣・食・住」です。もちろん食べることは重要ですが、切っても切れない関係は「トイレ」かもしれません。現在では水洗トイレが普及し、「うんこ」や「おしっこ」(以下では「し尿」と表現します)は瞬間的に私たちの目の前から消えていきますので、あまり深く考えたりはしないでしょう。しかし、水がきれいに流してくれなければ、「し尿」をどこかに持って行かないとトイレを使うことができなくなります。そこで、かつての日本では「し尿」を大切な農業用肥料として扱っていました。江戸時代を中心にその歴史を振り返ってみましょう。

 

戦国時代の記録

戦国時代にキリスト教を広めるため、日本へやってきた宣教師のルイス・フロイス(1532年生~1597年没)がまとめた『日欧文化比較』という本では、次のように書かれています(岡田章雄訳注『ヨーロッパ文化と日本文化』)。①ヨーロッパでは便所の糞尿(ふんにょう)を除去する人に金を払うが、日本では糞尿を買っている、②ヨーロッパでは馬糞を菜園に投じて人糞を捨てるが、日本では馬糞を捨てて人糞を菜園に投じる、としています。つまり、当時の日本列島では人間のトイレにたまっていた「し尿」を購入して、田んぼや畑の肥料として使ったのだということがわかります。ポルトガル生まれのフロイスにすれば、お金を出して処理するものを日本では「商品」になっているではないか、と大変驚いたことでしょう。

 

江戸時代は人口が増えていく

江戸時代に入ると、この「し尿」をめぐる取引は大規模なものになっていきます。それには、日本列島の人口が急速に拡大した背景がありました。徳川家康が天下統一を果たしたころ、日本の推定人口は約1200万人といわれ、8代将軍・徳川吉宗の時代には3000万人を突破したといいます。農業の発展と田んぼ・畑の開発がすすみ、その一方で城下町などの都市に住む人たちも数多くあり、全国の至るところで人口が増えていきました。人間社会が大きくなったわけですが、ここであらわれてくるのはトイレにたまる「し尿」をどうするか、という問題です。農村では田んぼや畑が増えていますから、そのための肥料を確保する必要が出てきますし、都市では「し尿」をどこかで処理しなければならない。村と町の両方でそれを解決する答えが、都市の「し尿」を農村で引き取ることになるのです。

 

いろいろな肥料

現代では、有機栽培やオーガニック農法といった言葉で化学肥料を使わない農業のやり方が注目されています。農薬がなかった江戸時代は、当然このような自然由来の「草肥(くさごえ)と呼ばれる肥料が一般的でしたが、生産力を高める効果のあるイワシやニシンを加工した「魚肥(ぎょひ)」、菜種や大豆の絞り粕(かす)など、さまざまなものが耕地や気候にあわせて使われました。そのなかで、「し尿」も主要な肥料として全国的に普及していきます。

 

清潔な都市空間

「し尿」は重要な肥料として、都市から農村へと運ばれたことで、町人たちの生活環境が保たれていた。言い方をかえると、トイレはきれいに使うことができたし、ゴミ問題を含めて日本の都市ではリサイクルがすすんでいたことにもなります。ヨーロッパには江戸と人口の規模が同じくらいの巨大都市・ロンドンやパリがあったわけですが、衛生という面で江戸は極めてすぐれていたと評価されています(リー・ジャクソン『不潔都市ロンドン』)。それは、フロイスが比較をしたように、ヨーロッパでは農業に人糞を使わないことが原因にあると思われます。

 

商品流通としての「し尿」

結果的にリサイクルがうまくいった、というのが本当のところで、実際には肥料としての価値が高い「し尿」を人々が取り合っていたことに注目できます。江戸や大阪、京都は大きな都市だったわけですが、周辺の農村からは「コエブネ(肥舟・屎舟)」という専用の川船で「し尿」のくみ取りに出かけます。くみ取り、つまり買い取る際には農民がお金を払うのですが、これは運んだ量で計算するのではなく、住んでいる人数(トイレを使う人数)が基準になりました。大阪とその周辺農村の場合では、町人1人に対して年間銀2匁(もんめ)〔現在の価値では約2500円〕から3匁で、契約している農民が代金を町人に支払います(荒武賢一朗『屎尿をめぐる近世社会』)。たとえば、4人家族のトイレには1万円ぐらいの値段がつくことになります。これが安いのか、高いのか、農民と町人の間ではしばしば交渉や対立がおこり、裁判になっていくケースもありました。

 

便利になると、すぐに過去のことを忘れてしまいますが、何気なく普段の生活で「これって、むかしはどうだったのか?」と、みなさんのご関心によって「新たな発見」があるかもしれません。

 

【プロフィール】

荒武 賢一朗(あらたけ けんいちろう)

東北大学東北アジア研究センター上廣歴史資料学研究部門 准教授

日本近世史・経済史専攻。江戸時代の経済や社会を古文書から分析する。地域で大切に守られてきた歴史資料を保全し、未来への継承を目指している。

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